ひきこもれ

ひきこもれ:ひとりの時間をもつということ

吉本隆明

SBクリエイティブ(株)

2020.9

 

私は人との付き合いが苦手だ。

思えば、幼い頃から外出が嫌いで、両親に否応なしに連れて行かれる外出も早く自分の家に帰りたくて仕方なく、帰宅するとすぐ自分の部屋に閉じこもり、自分のお気に入りのおもちゃ、具体的にはリカちゃん人形のお家セット、リカちゃん人形何体かを使ってのごっこ遊びをして気持ちを昂め直していた記憶がある。

小学生時代には、一刻も早く家に帰りたいがために、いわゆる女の子同士がつるんで帰宅するグループに交わることなく、一人で駆け足気味に帰っていた。

その習慣はいつまでも抜けず、女の子コミュニティーが大切になる思春期になっても一人ぼっちの登下校を続けた私は、今から思えば(本人は気づいていなかったが)相当浮いた存在だったのかも知れない。

そう言えば、本人が気づかない=周囲の眼が気にならない、ということも大きな問題だったのかも知れない。

成長するに従い、そこそこ人と話す努力をするようにはなったが、子育て時期にもママ友とのコミュニケーションに悩み、どうしても行かなければならない父母会の後などは、いつも2〜3日寝込んだりしたものだ。

子育てにおいては、親の出番がなくなった今、

近所つきあいにおいては、都会のマンションぐらし、隣は誰が住む人ぞ状態に感謝しつつ、

コロナ禍にあり、私のためにあるような緊急事態宣言でひきこもり状態を誰にも”おかしな人だ”と思われることなく、むしろ社会に貢献している自負心さえ与えてくれる今、

(息子の就職という最悪の悩みは抱えているものの)

何十年ぶりか、心の中の重い荷物から解放された気分である。

 

そして、本書”吉本隆明氏のひきこもれ”にて、

一人で過ごす時間は「価値」を生み出す

というお墨付きをいただき、今後気が済むまでひきこもりせいかつを続けていこうと考えております。

 

以下、本文より。

 

・「孤独」ということを、どこまで自分の中に呑み込んで、つきつめていけるか。そしてその上で、どこまで風通しよく生きていけるか。それを目指していこう、と。

(p49)

 

・いまで言う「ひこ子守」の病的なものに近いと思って、反省したり直そうとしていた時期は、ひここもるということを、「いい・悪い」の軸で考えている面がありました。でも今は、善悪には全く関係がないとおもっています。

誰でも「意味」に傾くか、「価値」に傾くかどちらかであって、それは良し悪しではない。性格とか、得意・不得意とか、そういうこととは関係があると思いますが。

僕はいまでも、社会性がないとか、おっくうがってやらないことが多すぎるとか、言われることがよくあります。でもそれは自分の欠陥かもしれないけれど、悪とは違うぞ、と考えます。

もっと別の言い方をすると、人間の性格は胎内で人間として身体の器官がそろって働くようになった胎児の頃から一歳未満の乳児の頃までの間に、主に母親との関係で大部分が決まってしまうと考えるようになりました。

若者になってからひここもり気質を直そうというのは、もう遅いのです。わざとらしい偽の行為になってしまうのが多いです。

(p50−51)

 

母親の影響を強く受けている息子への助言ともなる章

 

・なるべく早く、引っ込み思案なら引っ込み思案の自分にあった仕事を見つけた方がいいんだよ・・なぜなら、どんな仕事でも、経験の蓄積がものを言うからです。持続ということは大事です。持続的に何かをして、その中で経験を積んでいくことが必要ないような職業は存在しません。ある日突然、何ものかになれるということはないということは、知っておいた方がいい。・・・・才能がどうこう言っても、十年続けないと一人前にはなれません。

逆にいうと、十年続ければどんな物書きでも何とかなります。

・・・これはどんな仕事でも同じです。どんなに頭のいい人でも、毎日継続して「手を動かす」「てで考える」ということをしない限り、五年もすれば駄目になる。手を動かし、手で考えるとは、物書きの場合ならとにかく書き続けることであり、書けなくても毎日原稿用紙に向かうことです。文学者であろうと職人さんであろうとバイオリン弾きであろうと同じです。

(p119−120)

<息子への気持ち>

我が家系にその筋の身内は誰もいない”音楽”を自分にあった仕事なのだと信じて疑わない息子。我々のDNAに音楽的才能はないんだから、と心ない言葉で違った道へと、もう少し食いぶちに預かられる道へと誘おうとする愚母に対し、”僕は、才能の存在を信じない。努力することが大事。”と言い返した息子。おかげでいまだに就職先は見つからず・・・。

やりたい仕事に確信を持って努力している息子を褒めるべきなのか。

もう10年、、、せめて傍観してあげるべきなのか。

 

 

共感した一節

 

・書いたものを他人が読んでくれればいいわけですが、読んでくれる人がいなくても、うまく自分の考えていることや感じていることが文章の中で言えていたら、それが自分の慰めになるということが自分でわかれば安心する。つまり、書くことはぼくにとって自己慰安になっていたのです。

(p124)