在宅ひとり死のススメ

在宅ひとり死のススメ

上野千鶴子

文春新書

 

最近の私の読書傾向を見て、長男から

”気持ち病んでるんじゃね?”

と心配された。

 

病んではいない。

しかしながら、いつゴールを迎えてもおかしくない年齢だ。

 

私の両親の人生の終え方を観ても、

それはいつ、突然訪れようとも不思議ではない。

 

その時のための準備を進めているのだ。

我が父母のようにならないように。

長男に心残りを作らないように。

 

と言うことで本書を手に取る。

結論としては、

介護保険制度がある限り、

自宅でこの命を終えることはできそうだ。

と言うより、むしろ政府としては、

健康保険料、介護保険料の政府負担を軽減するべく、

その方向で自宅介護の仕組みを充実させようとしているらしいから、

なおさら安心だ。

 

私は、老衰により、徐々に生命力を失い自然にこの世を去る時以外、

病気で苦しんでいる姿や、何かしら不自由な中息絶えるのであれば、

その瞬間をあまり親しくもない人に見守られたくはない。

せいぜい、夫と長男くらいかな。

その後の見送り儀式も、夫と長男の2人でひっそり、しみじみと送って欲しい。

もともと友達が少ないこともあるし、

人は、一人で生まれてきて、一人で死んでいくんだ、

っていう私なりの思想があるからか。

だから、著者が、”在宅ひとり死は可能である”と結論づけてくれていて、

一定程度の安心感を得た。

 

ところが、私には一点心配な事がある。

私の実母は80歳にて認知症が判明し、現在介護付き老人ホームに入居している。

もしも認知症が遺伝傾向が強い病であったなら?

私は目の前で、母が壊れていく姿を見てきたので、

その時は、周囲に迷惑をかけたくなく、長男には、

”その時はお母さんが嫌がっても施設に入れてもらっていいから。”

と予め伝えてある。

 

本書においては、認知症になった時でさえ、

介護保険を使えば、自宅で過ごすことは可能であろう、と書かれている。

介護環境だけを考えればそうかもしれない。

しかしながら、人間には介護者にも被介護者にも、

理性があり、感情がある。

 

私の母は、最後まで認知症である自分を受け入れなかった。

ゆえに、心配する家族に対し罵詈雑言を発し、

最後には暴力も振るうようになってしまっていた。

 

のちに読んだ本によると、

その罵詈雑言も、暴力も、

自分の意思が伝わらないやるせなさからくるもので、

介護者の対応で改善できるものだと書いていた。

 

しかしながら、

1日のうちの数時間、その嵐に耐えれば嵐の雲の外に戻ることができる介護の専門家とは違い、

家族は24時間、365日嵐の中で苦しんでいる。

私は、実家からは遠く離れた土地で暮らしているため、

主たる介護者になることは不可能であったため、

主たる介護者である義姉に限界を訴えられ、ホーム入居への同意を求められた時、

反対することはできなかった。

義姉の理性や感情やが傷き、尊厳が損なわれていたから。

 

母は最後まで、義姉に対し、

”あなたがちょっと手を貸してくれれば、もう少し家にいられると思う。”

と手を貸して欲しいと懇願していたが、

その話し合いの時間が、夜中の2時3時になろうとも、

時間の観念がなく、感情抑制も効いていない母の様子を見て、

母の願いに首を振る義姉を冷たい人だと非難することはできなかった。

 

人は誰しも、少しでも長く、できれば最後まで、

自宅にて自由な生活を送りたいに違いない。

ホームに入り、掃除、洗濯、食事の支度の心配がなくなったとしても、

母はそんなことを望んでいたのではないだろう。

 

本書の中に、

認知症は自己責任ですか”

と言う提議がある。

”自己責任ではありません”

”しかしながら、認知症になったら、できる限り自宅で過ごしたいですが、

手に負えなくなった時には、身近な介護者の判断に任せます、と私は一筆書いておこうと思っています。”

 

 

同調圧力:日本社会はなぜ息苦しいのか

同調圧力:日本社会はなぜ息苦しいのか

鴻上尚史 佐藤直樹

講談社現代新書

 

最近、公私に忙しく読書時間が確保できない日が続いている。

絶対的意思を持って本に向かえば良いのかもしれないが

睡眠時間を削るのも嫌だし(翌日の不調が容易に想像できる)、

精神的にも疲れているのでホッとする時間(何も考えずぼうっとする時間)も欲しい。

なので、読みたい本は山積みなのにも拘らず、

一向に完読できずにいる。

そんな中、軽い気持ちで読み進められた一冊。

興味あるテーマで、対談形式だったので、読み始めるとあっという間に完読できた。

 

ドイツに住んでいる時に、ドイツ人の知人に、

”どうして日本人は他人を思いやる気持ちが強いのか。”

と、いわゆる

”空気を読む””忖度する””おもてなしの心”

的な日本人の性格について尋ねられたことがある。

その時の私の答えは、(子育て真っ只中だったので)

”小さな頃から、私もそう育てられたし、私自身も自分の子供にそのように教えているのだが、

「相手の気持ちを考えてごらん?」と・・・”

 

我が子が幼い頃、お砂場で、自分の砂遊びセットで遊んでいるにもかかわらず、

他のお子さんが(例えたまたま同じ砂場で一緒になったその日限りのお付き合いであっても)

”僕もスコップで遊びたいよ〜”

と泣き出したとする。

その時、私は、

”その子の気持ちになって考えてごらん?自分がその立場なら、貸して欲しくなるよね?”

などと我が子を諭しながら、

”順番こね”

なんて言いながら、スコップを貸してあげていた。

 

そこに存在する母としての私の感情は、

”我が子に他人を思いやる気持ちのある子になって欲しい”

という気持ちと、

”世間の人に、お砂場ルールを守れない親子だわ”

と眉をひそめられたくない、という気持ちが働いていたのかもしれない。

 

まさに私は、

過剰に忖度し自主規制するシステム

にどっぷり浸かっているのだ。

 

ドイツ人の知人との会話の中では、

他人を思いやれる日本人の国民性を再認識し誇りに感じていたが、

”僕の周りには、当たり前に上手く生きている友人がいない。”

と先ごろ就活に失敗し就職浪人決定の我が子が言うので、

彼の友人達を見渡してみると、

心身ともに健康にすくすくと育っている若者が少ない。

コロナの影響だろうか、と考えるも、ただそれだけではない気がする。

なぜなら、コロナ以前に既に心が疲れてしまっている子達も何人もいる。

 

多様性への激烈な逆流。

迷える若者たちについて、我が子と話していて我々もこの点に着目していたので、

この題材を目にした時、激しく同意をした。

”小学校の教育としては、「自分で考えてごらん?」「あなたはどうしたいの?」

などと個性を重んじた教育をしておきながら、

中学校、高校では校則でがんじがらめにされ、個性を押しつぶされる。

大学では少しばかりモラトリアムな時を過ごさせて貰えるが、

大学3年生からもう就職のことを考えなくてはならなくなる。

 

ヨーロッパでは、大学在学中に自分の生き様を探し、

個、を成熟させる。

私がドイツに住んでいる時に通った英語スクール(ドイツでなんで英語やねん!)では、

ヨーロッパ各国の人々と出会うことができたが、

大学について語るとき、彼らは”大学に何年通ったか?”

と言う会話を交わす。

大学に入学後、学問の興味が変わり、転科するもしくは入学し直す、

なんてことが当たり前なんだそうだ。

 

その点、日本では、個が成熟する前に、社会に放り出され、

幼き日に「自分で考える」「自分の意思を重んじる」と教えられた経験のある子供達を

「出る杭は打たれ」「忖度できない奴は、空気が読めないできない奴」として、

組織の中に作り出された「世間」から弾き出すのだ。

 

家制度について、たかだか100年ちょっとで植え付けられた家制度なんて、僕たちが頑張れば100年ちょっとで変えていけるんじゃないですか?

と言う記述がある。

日本は明治維新という大改革のどさくさで、政府が民衆に押し付けてきたルールや習慣も多々あるだろう。

 

日本人として。

これは古くからの習慣なんだから。

守らない人は非国民だ。

的な発想。

窮屈で仕方ない。

 

幼き日に、少しでも「個」を重んじる教育を受けてきた今の若者たちが、

社会に出て、「世間」の現実を突きつけられ、

壊れそうになっている。

 

 

 

 

 

老後レス社会

老後レス社会:死ぬまで働かないと生活できない時代

朝日新聞特別取材班

祥伝社

 

読み終えてまず、

老後レス

上手く表現した言葉だな、と思った。

 

少子高齢化社会の問題が取り沙汰され始め久しいけれど、

年々この問題が身近になってくる。

 

まず、私自身も”辞めたい、辞めよう”と日々愚痴りながら、

未だにパートとは言え、働きに出かけている。

この歳になってまだ働いているとは、

20代だったあの頃の私は想像もしていなかった。

加えて、こんな私に労働力として需要があるだなんて・・・

 

一方で、私の母は、私の今の年齢の頃には、

すっかり隠居気分で過ごしており、

食事の支度すら、できれば若者世帯に任せてしまいたい勢いだった。

そのことを考えると、

私はすでに老後レス生活に片足を突っ込んでいるのだろうか。

 

会社の妖精さん

この存在については、夫の現状を探るべく話を向けてみた。

”朝早く出現し、社食でコーヒーなど飲みながら就業時間までをゆっくり過ごし”

あたりまでは、

”それ、まんま僕じゃない?”

と楽しげだった彼。

その後、”就業時間内ではその姿は目立たず、仕事に置いて存在感が示されないにもかかわらず年功序列制度による高給を得る年配者の姿に若者の労働意欲が低下しているらしいよ。”

と私が続けるや、

”じゃあ僕は妖精さんではないね。仕事でもちゃんと存在感示してるし。”

そうなんだ。そうだといいな。

でもそれは、周囲の人が決めること。

 

ロスジェネたちの受難

においては、まさに”コロナ禍の受難”をモロに被っている現在就活中の長男の将来を案じる内容となっていた。

20年後、息子たちの世代も、こうして置き去りにされた世代として社会問題になっているのではないだろうか。

”ロスジェネ世代を生んだ最大の原因は、日本独特の雇用慣行である。

新卒時の一括採用、年功序列、終身雇用は戦後の高度成長を支えてきた。

まっさらの若者を会社が丸抱えして職業教育を施し、労働力を確保する。右肩上がりの時代には一定の効用があっただろう。

だが、バブル崩壊後の長期不況で、この雇用システムは矛盾を露にする。年長世代の雇用を守ろうとする日本企業の多くは、世代間のバランスを顧みずに新規採用を絞り込んだ。その後に景気が回復しても、新卒の採用が優先され、この世代は見捨てられた。”

(本文よりp117)

 

死ぬまで働く

本書で取材対象者は3つのパターンに分かれている。

生活のために働かなければならない人。

今まで懸命に働いてきた努力が報われず不安定な雇用制度を強いられ将来に不安を抱えている人。

最後に、自らの生きがいとして働き続けている人。

”自分が必要とされているという実感は何歳になっても大切だ。仕事は確かに人に役割と居場所を与えてくれる。”

(本文よりp,185)

"過去のキャリアにこだわらない。聞かれるまでは余計なアドバイスはしない。お金はいただけるだけでありがたいと考える。それが高齢になっても働けるコツだ”

(本文よりp.192)

 

いつまで働くのか。

何のために働くのか。

老後の過ごし方を私はどのようにイメージしているのか。

それを実現するためにはどうするべきなのか。

 

来るべき老後に向けて、考えなければならないことが山積みである。

 

認知症の人が「さっきも言ったでしょ」と言われて怒る理由

認知症の人が「さっきも言ったでしょ」と言われて怒る理由

木之下徹著

講談社+α新書

 

本書を通じて著者から読者へ伝えたいこと。

認知症の人、それは将来の自分の姿であること。

認知症の人、まさにその人は「人」なんだということ。

 

私がこの本を手に取ったのは、私の実母がアルツハイマー認知症を診断されているから。

そして、母に症状が現れ出した時、私の母への接し方にいまだに後悔があるから。

あの時の母の気持ちを知りたかったから。

 

残念なことに、母は自分の認知機能の衰えを認めなかった。

残念なことに、母は激しい怒りと暴力を抑えられなかった。

残念なことに、私はそんな母に恐怖を覚えてしまった。

残念なことに、母と私の間に、確固たる信頼関係や深い愛情がなかった・・・(のではないか)

 

認知症の大きな症状の一つ「忘れる」

この症状を、著者は「記憶のしづらさ」と表現している。

大いに同意。

新しいことを覚えられないのではない。

なかなか記憶されないのだと、「父の死(母にとっては夫)」への記憶の定着をもって実感した。

 

記憶のしづらさに配慮した社会へ。

母は決して自分の記憶のしづらさを認めなかった。

また、周囲の人に悟られまいとした。

そのため、長年仲良くしてきた友との、月に一度のお寺参りや、俳句の吟行を、

その日取りを「忘れてしまい」「周囲に迷惑をかけ」「そんな自分を悟られまい」

として、きちんと別れも告げず、不義理にも音信不通の状態となっていたようだ。

(のちに母の友人の一人から知ることになる)

 

もし、母が友人に甘えることのできる人だったら。

「私、約束の日時を覚えるのが苦手になってきているから、約束の日に電話をもらえるかしら?」

などと正直に打ち明けることができる人であったなら。

・・・孤独を少しでも減らせたのではないだろうか。

社会が、認知症の人を、人として少しでも長い時間共存しようという地盤があれば。

明日は我が身なのだから。「迷惑だな」と思うのでもなく「可哀想に」と思うのでもなく・・

普通に人として扱ってもらえる社会であったなら。

 

でも、一番身近にいる娘である私が、それをできなかったのだから・・。

 

母は、認知症の症状の進行を遅らせることのできる薬を飲みたがらなかった。

長年、慢性呼吸器疾患でステロイド系の薬を服薬し続けてきた母は、

「この歳になって、さらに薬を増やしたくない」と・・・

私と兄は、良かれと思って・・・母に薬の服用を強いた。

これも、母の意思を尊重しない行為であった・・・

 

母は、ものを投げたり、自分の思い通りにならないと噛みついたりするようになった。

その時の母の顔つきは、もう私の知っている母ではなく、

私は心底怖くなって、その場から逃げてしまった。

どうして母がそのような状態になったか、よく考えもせず。

もう、母は昔の母ではないのだ、と決めつけて。

 

悪性の社会心

1.騙す

2.できることをさせない

3.子ども扱い

4.おびやかす

5.レッテルを貼る

6.汚名を着せる

7.急がせる

8.主観的現実を認めない

9.仲間はずれ

10.もの扱い

11.無視する

12.無理強い

13.放っておく

14.非難する

15.中断する

16.からかう

17.軽蔑する

(本書p.189~190より)

 

読んでいて涙が出た。

どの項目も、私の母への対応に覚えがある。

私は、もう以前の母ではない、と思ったと同時に、母のことを一人の人間として尊重しなくなっていたのだ。

あんなにも、母の尊厳を大切にして欲しいと兄に訴えていたのに。

当の本人が・・・

 

人の積極的な営み

1.認めること

2.交渉

3.共同

4.遊び

5.ティマレーション(感覚に訴えること、感覚的相互行為)

6.祝福

7.リラクゼーション

8.バリデーション(元気づけること)

9.ホウルディング(心理的意味における抱えること)

10.ファシリテーション(失われた部分だけ援助し、できなかったことをできるようにすること)

11.創造的行為

12.贈与

 

さつきの花が満開の季節。

母と二人で外出したあの日の想い出が、

私と母の、最後の幸せな記憶。

 

 

青春とは、

青春とは、

姫野カオルコ

文藝春秋

 

フィクションとはいうものの、

著者とほぼ同世代で、舞台となっている滋賀県に12歳まで暮らした私にとっては、リアルに頭の中に描かれていく。時代背景、地域の特異性に共感しながら読み進めていく。

家庭内のことや子供がどうのこうのの噂が、何世代にも遡ってのご近所さんにとっては知っていて当然という閉塞感・・・あったよね。学校の帰り道で寄り道なんてしようものなら、自分が帰宅する頃には母親に誰かから告げ口されていて、帰宅後すぐに本屋での立ち読みを叱られる、なんてことしょっちゅうだった。

挙句に、我が母は(当時の大人は皆そうであったかもしれないが)人の目を非常に気にする人だったので、とにかく風紀について煩く指導された。

マッシュルームカットが流行っていた小学校時代には、”目に前髪が入る”ことを嫌った母の指導で長く伸ばした前髪を七三に分けピン留めで止めていたし、キャラクター商品を嫌った母だったので、”リボンの騎士”グッズや”ひみつのアッコちゃん”グッズは私の憧れだった。

今のように携帯電話のなかった時代、リビングに置かれた電話が家族共有の通信手段。

箸が転げてもおかしい年頃の高校時代、学校で毎日会っているのに帰宅後もその同じ友人と電話で1時間ほど笑い転げながら話す。母の妨害に遭いながら・・・

一体何をそんなに話していたのだろう。何がそんなに面白かったのだろう。

高校時代、我が家では、大学受験の準備のため部活動への参加を許されていなかった。というのは、私よりよく出来た兄が通っていた私立校では入学式の際、”大学受験のためには運動部の参加は控えるように”と(そんな非常識なことを)堂々と指導があったらしい。なので兄はもちろん帰宅部、そして私が高校入学する年にその兄ですら大学受験に失敗し浪人生となっていたので、私なんて出来ない娘は当然帰宅部でしょ、という流れが自然と作られていた。

何が言いたいかというと、主人公明子には1冊の本にできるほどの想い出が高校時代にあるようだが、私の高校時代はというと、偽りの自分を生きた記憶しかない。

ご近所からの監視の目(実際ご近所が私を監視していたかどうかはわからないけれど、母親によってそう思わされていたのは事実)、”出来のいい兄、ちょっと変わった妹”という母による印象操作、厳しい家庭のしつけ、こういった環境から逃げたかったのは、主人公明子にすごく共感する。が、私と明子の違いは実行力だ。ミッシェル・ポルナレフの京都公演参加への実行力たるや、感服する。高校生のそれとは、到底考えられない。そして、明子は大学進学時に実家からの逃避に成功している。自分の力でだ。静かなる闘志を持つ方なのだろう。尊敬する。

一方私はというと、私が窮屈な実家から脱出できたのは、結婚によるものだった。私には親に逆らう勇気などなかったし、明子ほどの実行力もなく、自分で人生を切り拓く気概もなく、結局は他力本願の甘ちゃんだったということだ。

今は、救世主の夫のおかげで実家からは遠く離れた土地に暮らしている。盆正月には”いつ帰省するの?”と攻め立てられながらも……そう簡単に帰省できる距離に助けられている。

本作品の最終章で私は、数多くの頁に登場する学内のモテ男中条秀樹君が心不全により39歳で他界したことを知ることになる。他の登場人物の近況に触れる箇所で、さらっと1行程度書かれてるのみ。そこに明子の心情は綴られていない。だからこそ、中条君がこの世に存在しないと知った時、明子が感じたであろう喪失感を想像せずにはいられない。

 

"満開の桜の下ど、私は3の7に言う。クラス会にも学年同窓会にも来なくていいよ。でも、いてくれ。いなくならないでくれ。"(本文p.248)

 

同級生、身近な友人の訃報に触れる機会が増えてきた。5年前には実父が他界し、厳しく誇り高かった母は認知症を患い施設に入所した。

 

わたしも言いたい。

私を取り巻く全ての人に。

いなくならないで欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

知事の真贋

知事の真贋

片山善博

文藝春秋

 

出版年度が2020年11月である著作。

昨年1月から突如突入したコロナ禍においての知事の采配に触れながら筆が進んでおり、おかげで問題意識を身近なものと感じながら地方自治のあり方を考える機会となった。

おりしも、昨日のTVの情報番組にて、中野区の区議会の模様が問題提起されていた。

居眠りをする議員や、議会進行中にノートブックPCで私用の検索を行っている議員がいたのだ。

それを見て私が感じたのは、”ほんと、税金の無駄使いよね。”

が、平素より彼らにさほど期待をしていないから、怒りが込み上げるまでではなかった。

思えば、この一市民の感情が大きな問題なのだろう。

怒りが込み上げた来ないなんて・・・

 

本書で扱われているコロナ禍にて法的根拠なく施行されている各種要請。

二十四条九項

特措法第四十五条

についても改めて頭の整理ができた。

その上で、本書の出版から半年以上が経つ今も法的整備が行われていない現実。

それどころか、この緊急時に立法府である国会を閉会してしまっている現実。

地方議会には怒りすら感じなかった私も、この点については日頃から怒りを感じている。

 

・・・知事会側から、感染症対策を進める上で現行の特措法は使い勝手が悪かったり、改善すべきてんがあったりするので、見直してほしいと何度も要請しているのに、政府幹部はコロナの感染が落ち着いたところで法改正を検討するという趣旨の発言をしていました。今、感染をを抑えるために、法改正をしてくれと訴えているのに、「落ち着いたところで」などと、よくもそんな悠長なことが言えるものだと呆れてしまいます。(p.131)

 

同感です。法律に基づかないその場しのぎの政策を打っているから、国民には”後手後手の政策””朝令暮改”などと批判され、信用を失っていっているのだと。

休んでる暇があるなら、法整備しろ。もう、どうしようもなくなって、またオリンピック閉幕後に慌てふためくのか?!

ワクチン一本に頼るのもよし。が、しかし、それでもこの感染状況が閉塞しなかった時の代替処置案はもちろん用意されてるんだろうね!?

私のような一般の平民でも、これがうまくいかなかった場合には・・・ってリスク管理してますけど。まさか日本の最高峰の能力をお持ちであろう霞ヶ関の議員さんや役人さんが進むべき方向性を1本に絞ってるってこと、ないですよね?????

    

日本の政治の稚拙さに、寄せる期待も少なかったが、コロナ禍においてそうは言っていられなくなってきた。がしかし、政治に無関心であり続けた私のような国民にもその責任の一端はあるだろう。

私達がうかうかしている間に、

”総理大臣が根拠のないことを平気で、きっぱり明言するという、とても深刻な事態が進行していたのです。”(p.154)

 

中央政権についての怒りはこの辺にしておいて、地方自治、知事について話を戻そう。

東京都。

片山氏は”東京市の復活”提言されています。

東京都ができたのは戦争中の1943年です。国策である戦争を効率的に遂行するため、中央政府が帝都を押さえておきたかったのだと思います。東京市長は実質的に司会で選ばれていたので、曲がりなりにも民主主義の産物でした。一方の府知事は感染でした。民主主義を奪う形でこにが帝都を意のままに動かしやすくしたのでしょう。都のトップは官選の「東京都長官」となりました。(p.183)

 

なるほど。このような歴史があったとは。

そのような意図を持って組織された戦時中の組織をそのままにしているとは・・・

本書では”関西広域連合”についても語られているが、地方行政、中央政権ともに、グローバル化、デジタル時代等々、社会情勢が急激に変化している昨今、旧体制のまま、保守的な物事の捉え方のままでは日本だけ置いてけぼりになりはしないか。

あらゆる縛りや、カテゴライズを取り払って、再度新しい体制を構築しなければならないタイミングがやってきているのではないか。

 

読みやすく、刺激を得た一冊であった。

 

その果てを知らず

その果てを知らず

眉村 卓

講談社

 

懐かしい作家さんの作品。

中高生の頃、SF小説を好んで読んでいた、その中のお一人。

 

久しぶりのSF的(この作品は、SF作品とはカテゴライズされない気が...)小説は、ストーリーの流れを追う事に苦労した。

この作品は、著者自身に重なるところが多くある高齢の主人公が、癌に侵され死を意識しながらも、彼を取り巻く人々からの影響も受け、死=未知の世界へのトランス・未知の世界での再生へと意識が変わっていくストーリーである。

細かく区切られた36章によって構成されているが、主人公の立場で書かれた章、主人公が書き進める小説としての章、俯瞰の立場で状況が説明されている章が入り乱れて話が進んでいき時間流も無秩序なので、読み進めるのに苦労した。もう止めようかと本を閉じそうになった事もあった。実際、SF小説を読破するのに、こんなに時間がかかったことはない。

 

本を閉じたくなる気持ちを引き戻させたものは何か。

それは、主人公浦上映生のパーソナリティに著者眉村卓との類似点が多くあり、その眉村卓氏が恐らくはこの小説を書き終え程なく他界されていることを頭の片隅に置きつつ読み進めると、コレは本当に眉村氏が体験された事なのではないか。

私もその果てを知りたい、と思ったからであろう。

 

重ねていうなら、私の父は不慮の事故により、突然この世を去った。私という存在を創り育ててくれた事への感謝の気持ちを一度も口にだして伝えることなく...

その父が最期の瞬間に見たものは何だったのか。想い浮かんだものは何だったのか。

私は、父への懺悔の気持ちと共に父の最期の瞬間が彼にとって苦痛のない、人生には満足した瞬間であったのだ、と思いたくて仕方ないのだ。

 

以下、心に残る一節を本文より抜粋。

 

おのれが知覚している現実のラインは、しかし一本ではなく至るところで分岐している。...この「分岐」を決定づけ流のが、あらかじめ決められた「うんめい」だとすれば、話は古典的になるだろう。だが、分岐決定の要因が、他にもたくさんあったら?もっと容易に変わるものであったらどうなる?例えば、その現実ラインに乗っている者が、違うラインを望んでいたら?このまま行ってもらいたくない、とか、こういう方向に変わらないものか、とか・・・その結果本人の欲求によって違うラインに入ることがあるとすれば、どうなるだろう。そう言えば昔から、当人が強く望んでいたために、その後が変わった、とか、悪い結果を恐すぎたあまり、帰ってそこに向かって落ちてゆくことになった、とか単純な運命論を覆す話がいくつもあるではないか。・・もしも当人が、おのれのこの先を本能的に予知して、そっちへ行きたい、あるいは絶対に行きたくないという、本人も知らない念が作用するーーーーということがあるとすれば、それで当人はこれまでの現実知覚ラインを外れ、違うラインに入って行く、ということもあるのではないか?潜在的欲求の現実化として。(p.90〜91)

 

「どこかへ編入、ですか?」普通なら、あの世とかあちらとか言うであろうところを、そんな言葉を聞かされて、映生はつい反射的に尋ねた。「まあ、生命力が多少でも残っていれば、そう言うことにならざるを得ないではありませんか」「・・・生物の生命力というのは頑強なものですよ。生命力が尽き果てる前に、違うかたちでどこかに編入され、そこでの生物になるんです。そういう転身また転身のうちに生命力が尽き果ててしまえば、終わりですけどね。・・」(p.112)

 

物質は分子、原子、クォーツとどんどん小さくなって、あるところで(クォークで?)終わりになる。エネルギーになるのであろうか。しかし、いくら分解しても分解しても、おしまいにならなかったら、どういうことになるのか。そこに入れて頂いた私は、どういうものなのであろうか。物質の無限縮小、そして、無限数世界とは、生きているもの、あるいは生きているつもりの者にとって、どういう環境なのでありましょうか。・・・私たちが存在するのが、今のこの世界だけではなく、そのぶんだけ無数にあるのか、本当はもっと少なくてたった一つか二つかわからないにしても、今人間が生きているつもりの今の世界一つよりは多いようですよ。そのどこかに行くのですよ。体を作っていたものは処分されて消え、姿も形もなくなっても、そいつはどこかが引き受けるのではないか。いy、誰もかれも受け入れてもらえるのではなく、制限されるのかもしれないけれども、その辺りはこっちにはわかりません。ただ言えるのは、当人の実体がなくなり、意識もなくなり、存在しなくなっとしても、生命はどこかの世界で続くのです。本人が知らなくてもつづくのです。私、思うんですが、そのつもりで死んだら、何か残るんですよ。本人が知覚しているかどうかは不明ですが。・・どこかの何かとして、どういう具合にいつまで続くのか、そこで死んだら、またつづきが始まるのか・・・何もわからないけれども、続くのです。一回限りの生命という考え方自体が、おかしいのではありませんかね。(p.181~182松原権兵衛の手紙より)

 

「生物とは死ぬもの、じゃないのか?」「死ぬと思えば。あるいはこれで終わりとすれば、それが死だ。」:しかし生物、自分の生命というか生存を続けようとすれば、できるんだよ。自分で死なないと信じればね。」「宇宙のーーといっても、宇宙なんて百千億兆、無限にあるわけだが、それぞれが、生命体に満ちている。いや、生命力が満ちていなければ、宇宙にならない」「そうした宇宙のどこかの生命を引き継いで、ね」「そうした生物のすべてが自分の意志一つで、ここか違う宇宙か知らないが、そっちで生命を継承して生きてゆく・・」「ありとあらゆる宇宙の、ありとあらゆる生物が、お互い、生命力を共有し合っている。それが分かっている者は生命の継承を得て、人間なり、別の生物なり、あるいは今の我々には生物とは思えない生物に変わって、生きつづけるんだ。そして、そのつもりになれば、誰もが何者でもそうなれるんだ。」「・・・死なないと決めたら、どういうかたちか見当もつかないが、生物をつづけられる、ーーと解釈していいんだな?」

(p .223~225)

 

「このことだけは忘れないでください。仮にあなたが死んでも、生きているときの感覚を保持していればいいんです。意識だけが残っているなんて、周囲の人々にはわからないでしょう。そうです、あなたは生きつづけていいのです。いよいよになってもあなたの生命力は続くのです。もちろんそれはこの世界この宇宙ではなくて、われわれの宇宙と重なった別の宇宙ですがね。でも人間ではなくても別の生命体でつづけるのは確かです。そして生物の生命力というものはずっとつづいていきます。当人が生きる意欲を失わない限りは」(p.246)

 

「新しい生物として意識をなくすとき、もっと生存の望みがあれば一心に祈る。どこかにつながる。この宇宙とは限らない。やらぬよりはやるべき。それがダークマターダークエネルギーであるかどうか、僕は知らない」・・そういうことなら、違う宇宙の生物になったっていいではないか。

 

私の父も、宇宙のどこかで、説明がつかないどこかの空間で、意識を強く生存していてくれると嬉しい。