知事の真贋

知事の真贋

片山善博

文藝春秋

 

出版年度が2020年11月である著作。

昨年1月から突如突入したコロナ禍においての知事の采配に触れながら筆が進んでおり、おかげで問題意識を身近なものと感じながら地方自治のあり方を考える機会となった。

おりしも、昨日のTVの情報番組にて、中野区の区議会の模様が問題提起されていた。

居眠りをする議員や、議会進行中にノートブックPCで私用の検索を行っている議員がいたのだ。

それを見て私が感じたのは、”ほんと、税金の無駄使いよね。”

が、平素より彼らにさほど期待をしていないから、怒りが込み上げるまでではなかった。

思えば、この一市民の感情が大きな問題なのだろう。

怒りが込み上げた来ないなんて・・・

 

本書で扱われているコロナ禍にて法的根拠なく施行されている各種要請。

二十四条九項

特措法第四十五条

についても改めて頭の整理ができた。

その上で、本書の出版から半年以上が経つ今も法的整備が行われていない現実。

それどころか、この緊急時に立法府である国会を閉会してしまっている現実。

地方議会には怒りすら感じなかった私も、この点については日頃から怒りを感じている。

 

・・・知事会側から、感染症対策を進める上で現行の特措法は使い勝手が悪かったり、改善すべきてんがあったりするので、見直してほしいと何度も要請しているのに、政府幹部はコロナの感染が落ち着いたところで法改正を検討するという趣旨の発言をしていました。今、感染をを抑えるために、法改正をしてくれと訴えているのに、「落ち着いたところで」などと、よくもそんな悠長なことが言えるものだと呆れてしまいます。(p.131)

 

同感です。法律に基づかないその場しのぎの政策を打っているから、国民には”後手後手の政策””朝令暮改”などと批判され、信用を失っていっているのだと。

休んでる暇があるなら、法整備しろ。もう、どうしようもなくなって、またオリンピック閉幕後に慌てふためくのか?!

ワクチン一本に頼るのもよし。が、しかし、それでもこの感染状況が閉塞しなかった時の代替処置案はもちろん用意されてるんだろうね!?

私のような一般の平民でも、これがうまくいかなかった場合には・・・ってリスク管理してますけど。まさか日本の最高峰の能力をお持ちであろう霞ヶ関の議員さんや役人さんが進むべき方向性を1本に絞ってるってこと、ないですよね?????

    

日本の政治の稚拙さに、寄せる期待も少なかったが、コロナ禍においてそうは言っていられなくなってきた。がしかし、政治に無関心であり続けた私のような国民にもその責任の一端はあるだろう。

私達がうかうかしている間に、

”総理大臣が根拠のないことを平気で、きっぱり明言するという、とても深刻な事態が進行していたのです。”(p.154)

 

中央政権についての怒りはこの辺にしておいて、地方自治、知事について話を戻そう。

東京都。

片山氏は”東京市の復活”提言されています。

東京都ができたのは戦争中の1943年です。国策である戦争を効率的に遂行するため、中央政府が帝都を押さえておきたかったのだと思います。東京市長は実質的に司会で選ばれていたので、曲がりなりにも民主主義の産物でした。一方の府知事は感染でした。民主主義を奪う形でこにが帝都を意のままに動かしやすくしたのでしょう。都のトップは官選の「東京都長官」となりました。(p.183)

 

なるほど。このような歴史があったとは。

そのような意図を持って組織された戦時中の組織をそのままにしているとは・・・

本書では”関西広域連合”についても語られているが、地方行政、中央政権ともに、グローバル化、デジタル時代等々、社会情勢が急激に変化している昨今、旧体制のまま、保守的な物事の捉え方のままでは日本だけ置いてけぼりになりはしないか。

あらゆる縛りや、カテゴライズを取り払って、再度新しい体制を構築しなければならないタイミングがやってきているのではないか。

 

読みやすく、刺激を得た一冊であった。